トップメッセージ

グループの歩み

創業者・村田久七が1872(明治5)年、「綿屋の久七」として村田製綿所を創業したことが、ワタキューグループの出発点です。この第一創業の時代から150年を超え、今日まで歩み続けてまいりました。

1950(昭和25)年、久七の孫である村田清次が綿久製綿株式会社を設立。朝鮮戦争特需への挑戦、鍋底不況による倒産危機などを乗り越え、1962(昭和37)年、綿久寝具株式会社を設立し、第二創業のスタートを切りました。この時代、入院する際はリヤカーに布団を積んで病院に行くのが一般的でしたが、新たに制度化が進みつつあった「病院基準寝具」に着目し、寝具と洗濯を一括して病院に提供する病院向けリネンサプライ事業をビジネスモデルとして確立していきました。この事業は、患者さまやご家族の負担を軽減し、病院は本来の業務に専念でき、快適で清潔な医療・療養環境を提供することにつながるとして多くの評価を受けました。新しい事業の担い手を補うために、当時は全国の炭鉱閉山が相次いだ時期であったことから、佐賀の小城炭鉱出身の方々を多数採用したことは、佐賀を拠点とした九州での事業展開に繋がりました。大きな困難を伴いながらも、北海道から沖縄まで、それぞれの土地で絆を深め、地域の皆さまに助けられながら、全国に事業を拡大してきました。

1972(昭和47)年には、「食」の分野に進出、日本初の医療食品会社である日清医療食品株式会社を設立しました。当時、病院食は冷たく味気ないものでしたが、「患者さまに喜ばれる美味しい食事の提供」という新しいサービスを実現するために、味が良く栄養価も満たす医療食の研究から始め、設備や体制の構築など地道な活動を各地で行い、新たな市場を創出しました。その後、ホテル向けリネンサプライ事業に進出。病院向けサービスでは白衣や紙おむつの取り扱い、院内売店の運営、感染性医療廃棄物の処理など、事業の拡大を進めてきました。

1992(平成4)年、創業120周年を契機に、綿久寝具はワタキューセイモア株式会社に社名を変更、第三創業を迎えました。病院向け事業をさらに多角化し、福祉・介護分野への進出など、変化する時代のニーズに対応し、課題の解決につながる新たな技術やサービスの導入、地域社会の持続的な成長と発展を支えるための取り組みに注力し、ワタキューグループとして、医療・福祉・介護・健康・人財・建築など、現在に至る幅広い分野に事業を展開してまいりました。

基本方針と使命

当グループの事業は社会的な基盤に関わるサービスを提供することが中心です。これらを通じて社会課題に取り組むことが使命であり、地域経済の活性化や雇用の創出など、地域社会全体の発展にも貢献できると考えています。綿久製綿の創業社長 村田清次は、お客様ばかりでなく、仕入れ先の方々、社員やその家族、配達の方や近隣の方々にも「おおきに、おおきに、ご苦労さんです」「ありがとうございます」と分け隔てなく丁寧に頭を下げ、謙虚な姿勢で接していました。グループ経営の根幹には「感謝の気持ち」と「謙虚な姿勢」を忘れてはならない、として1998(平成10)年に制定した「ワタキューグループ基本方針」があります。社是は「心」です。この精神を胸に、地域の皆さまの「生きる」を支えるため、社会の課題に向き合い、ステークホルダーの皆さまとともに事業を行っています。

持続可能な未来へ

2015年に国連で採択された 持続可能な開発目標(SDGs)は、貧困、不平等、気候変動など、世界の多様な課題に対処するための国際的な目標です。当グループはこの枠組みや考え方が、グループ各社の事業、その継続と発展、これまで行ってきたCSR活動などに合致すると考え、日々の事業活動において取り組み、持続可能性を追求することとしました。グループ各社の事業を通じた健康と快適の追求、多様な人財が活躍する「勤めて良かった」と思える健全な企業基盤の構築 、社会的責任の観点からの環境への配慮、地域社会と連携しての課題解決 をグループに共通する重要課題とし、グループの成長と、社会の発展を両立させることを目指していきます。

当グループは、持続可能な社会の実現に向けて一層の努力を重ね、皆さまとともに歩んでまいります。皆さまのご理解とご支援に心より感謝を申し上げます。

ワタキューホールディングス株式会社

代表取締役社長

村田清和

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