鼻呼吸の重要性
古くから良質な呼吸は体の調子を整え、精神を安定させる等私達の健康を支える最も身近で根源的な生理現象として位置づけられてきた。元ハンマー投げのオリンピック選手で大学教授の室伏広司さんはスポーツのみならず、武道、踊り、音楽、等あらゆる分野において技を究める上での呼吸法の重要性を説き、集中力を高めるための呼吸法をご自身のウェブサイトで紹介している。ヨガ世界では、プラーナヤーマと呼ばれる呼吸法が修行の一環として実践されている。これらの呼吸法に共通しているのは、鼻から息を吸うことである。呼吸において鼻呼吸は特別な意味を持っているようである。
近年では鼻呼吸障害は健康問題の一つとして位置づけられ、睡眠の質低下や顎顔面成長への影響のみならず、脳機能の発達にも影響する可能性が指摘されている。東京科学大学大学院医歯学総合研究科 認知神経生物学分野 上阪直史教授と咬合機能矯正学分野 小野卓史教授の研究グループは、マウスの実験により発達期における鼻呼吸が小脳の発達と機能に影響することで、運動機能の最適化や抑うつ様行動の抑制に重要な役割を果たすことを明らかにした(2024年10月23日付(米国東部時間)で「Communications Biology」誌のオンライン版)。
研究グループは各発達段階から鼻呼吸障害も持つモデルマウスを作成するため、生後3日齢、生後3週齢、および生後2ヵ月齢の各マウスの片方の鼻を閉じた。片方の鼻を閉じたマウスではSpO2(経皮的動脈血酸素飽和度)が低下することが知られている。発達期に鼻呼吸障害を持つマウスでは、運動能力の低下や抑うつ様行動の増加が観察された。さらに鼻呼吸障害がこれらの行動に影響を与える重要な時期(臨界期)が存在し、生後3日目から3週間目は抑うつ様行動に、3週間目から7週間目は運動機能に特に重要であることを見出された。また鼻呼吸障害が行動異常を引き起こすメカニズムとして、発達期における神経回路形成の障害が関与していることも示された。鼻呼吸障害を持つマウスでは、小脳の神経細胞間で不要な接続を取り除く過程が正常に行われず、神経回路の形成が阻害された。さらに、小脳の主要な神経細胞であるプルキンエ細胞集団の活動が異常に同期し、この状態が成体になっても持続することが分かった。興味深いことに、これらの変化は成体になっても持続することが確認された。
これらの発見は、鼻呼吸が脳の正常な発達と機能維持に不可欠であることを示すとともに、小児期の鼻呼吸障害に対する早期診断と介入の重要性を科学的に示唆している。この研究は、鼻呼吸障害が単なる呼吸の問題を超え、脳の発達や将来の精神的・身体的健康にも深く関わる可能性を示唆しており、医療や健康管理における新たなアプローチの必要性を提起するものである。